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愚問をひとつ。逃れようと足掻くのは無駄なことだろうか?








「神楽ちゃんんんんん!!何すんのおおおお!!」
「うっさいアル、留学当初から思ってたんだけどお前眼鏡がワタシとカブってんだヨ生意気なんだヨ」
「お前はまだチャイナ娘としてキャラ立ちすっからいいだろ!眼鏡ぐらい譲れや!」
教室内、というか桂の席の周辺は相変わらず騒がしい。リーダーが新八くんの眼鏡にケチをつけるのも、昼休みのいつもの
バカ騒ぎとして認識されていて誰も制止するものなどいない。それどころかもっとやれ、と囃し立てて便乗し、楽しもうとする
ような奴らばかりだ。特に風紀の沖田は自他共に認めるサドっぷりを遺憾なく発揮する。そしていつの間にか、クラスの騒ぎの中心となる。
「ヅラぁ、お前も涼しい顔してないでそのヅラ取るネ」
「ヅラじゃない桂だ、それからこれは地毛だリーダー。というか俺はリーダーの出で立ちと何ら共通点がないぞ」
「桂くんの髪が長いのはうちの副長殿の中学時代とカブってるからアウトなんでさぁ」
「総悟てめぇええぇ!!何恥ずかしい写真持ってきてやがんだ!!」
土方の抑止も空しく、沖田はひらひらと教室内を写真を見せびらかしながら歩き回る。成る程写真の中の土方の髪は今の桂と同じ程度の長さだ。
写真を一目見ようと、クラスの面々は今までしていたおしゃべりを放棄して沖田と彼を追う土方の周りに群がり始める。
沖田は思いついたように桂の隣に立ち、写真を桂の顔に並べてうーん、と唸った。
「…何だ?」
「いやァ、昔の土方さんと桂どっちが男前かと思いましてねェ」
くだらない。桂はそう吐き捨てそうになったが、寸でのところでその短い感情を殺した。
周囲の人間は沖田のその愚問に便乗し、大いに盛り上がり始めた。
「ワタシの弟子とこんなマヨラー一緒にされたくないネ。どーせマヨネーズの吸いすぎで髪が伸びたんだロ」
「んなわけねぇだろ!!」
「土方くんの方がワイルドな感じがするわよね…どっちかっていうと縛られたいっていうか。まぁ、私は先生以外の男はクズだと思ってるんだけど」
せんせい。
マゾっ気丸出しである猿飛がその単語を口にした瞬間に、桂は心臓が抉り取られたような感覚に襲われた。
昨日の行為を、彼女が、猿飛が受けていたなら、悦んだだろうに。こんなにもあの化け物に恋い焦がれているんだ、きっと幸せになれただろう。

 何で俺なんだ。

愉しげな騒音がふと遠くなった。そして厚い壁のような静寂がそっと桂を包み込む。
 昨夜、あの男からどうやったら逃れられるか必死で考えた。登校拒否なんかしたらあいつの思うツボだ。きっと家まで押し掛けてくるだろう。
うまいことを言って両親まで丸め込まれるに違いない。あの男は日頃から、誰よりも上手くヒューマニズムの皮を被って暮らしているのだ。
そもそも何故こんな辱めに耐えているのか。それは、今までと全く変わらない生活を維持するためだ。
普通に登校し、バカなクラスメイトと折り合いをつけて生活し、勉強していい大学に行く。
それらをかなぐり捨ててあの教師を訴えることは、今の桂にはできなかった。
 昨日から百遍も繰り返してきた桂の思考を中断させたのは、静寂に不躾に斬り込んできた放送を知らせる電子音だった。
その音は既に別の話題で盛り上がっていた周囲の注意をも逸らせた。

『…えー、アレ何コレ入ってんの?…あ、そう…えーと3Z桂小太郎、今すぐ国語準備室に来るよーに。2分で来―い』

放送が止んだと同時に、どよめきが起きた。絵に描いたような優等生である桂が放送で呼び出しを喰らうことなど、3Zの誰も予想だにしていなかったらしい。
「おい桂ァ、おまえ何やったんでィ」
「ヅラのくせに放送で呼び出しなんてずるいネ!ワタシも呼び出されたいヨ!」
沖田や神楽の声は五月蠅いほど大きいのに、桂の耳をいとも簡単にすり抜けて全く意味を持たない音と化した。
ざああという音を立てながら、肌の上を返す波のように血が引いていく。咽喉の奥が乾いて貼り付く。痺れる毒が脳から分泌されているような、
不気味な感覚に桂は身震いした。
「桂さん、行かなくて大丈夫なんですか?」
新八にそう声を掛けられるまで、面白いように脚が動かなかった。床に縫いつけられて仕舞ったような、凍り付いて仕舞ったような。
それでも桂は表情を精一杯の穏やかさで充たし、「仕方ないな」と呟いて席を立った。見慣れた筈の教室を阿鼻叫喚の地獄にすら錯覚した。
桂が常と変わらぬ様子で教室の後ろ側から退室した後、沖田と神楽が子供じみた争いを始めて教室内は更に盛り上がりを見せた。
それを遠くで煙草を吹かしながら見物しつつ、土方は新八に「あいつ、何か様子変だったな」と言った。
「あいつって、桂さんですか?」
「ああ。ヤロー、妙に挙動不審だったぜ」
「…そうですか?僕はそうは見えませんでしたよ」
ふぅん、と唸るように言って土方はまた煙草を吸うことに集中した。まぁそうかもな、と彼はいけすかないロン毛の同級生の様子などさほど気にも止めず、
大がかりなプロレスごっこの高見の見物に徹した。
紫煙が教室の後ろ戸から廊下へ流れた。

































煙の匂い。

「……んっ…う…うぅ…」

背にのしかかる、成人男性の全体重が桂の華奢な身体を圧迫し続ける。腰から下の暴力にも近い律動は、昨日厭というほど体験した。
準備室の汚い床に這い蹲って担任教師の雄を受け入れる自分というのは、本当に惨めだ。
絶えず洩れる呻きにも似た声は、シャツの袖口で無理くりに押さえ込んでいる。
唾液が滲んで白い筈のシャツは薄紫に変色していた。
 銀八のごつごつした掌が、器用に桂自身にひっきりなしの愛撫を施す。人並みに自慰行為の経験は桂にもあったが、他人の手で、
しかも快感を感じる箇所を恐ろしい程に把握して的確にそこを狙うこんな行為は未曾有のもので、昨夜よりも甘い痺れが否応なしに襲ってくる。
しかしそんなことは桂は全く望んでいないことで、寧ろその手に導かれ白濁を垂れ流す自分自身の身体のことが心から憎かった。
「ん、うぅ、うッ」
固く閉じた瞳から思い出したように涙がこぼれた。生理的に流れる其れは、ただの塩水でしかない。
苦しい。圧迫されて息ができない。四つん這いで、犬のような格好を強いられてもう数十分が経とうとしていた。
膝が痛みで震えるが、銀八は崩れ落ちることを許さない。
 「…ッうぁ、…!?」
びゅく、という発射音と共に桂は射精した。と同時に、ひどい逆流感。
体内に銀八の精液が流し込まれたのだと咄嗟に悟った。
 気持ち悪かった。それはもう体験したことのないくらいに。まるで腸が焼け焦げたような。内臓がどろどろに溶けて垂れ流れてくるような。
同じ性を持つ男の其れを受け入れるようには作られていない身体が悲鳴を上げる。
「あ…アぁ…っ…!」
銀八が自身を桂の狭い体内から引き抜くと、限界だった膝が頽れて桂は床にどさりと倒れ込んだ。
先程放った銀八の種子たちが、行き場を亡くして後孔から次々に垂れ、桂の白い尻を濡らした。
「ちゃんと後処理しないと、腹壊すよ」
 銀八は身なりを無造作に整えた後、その科白だけを捨て置いて部屋を出て行った。
空しく授業開始を知らせる本鈴が鳴り響く。桂は下半身を晒した儘、身動きも取れなかった。
ただ、胸を焼く悔しさにむせび泣くことしかできなかった。
















どのくらい時間が経ったのだろう。

埃だらけの床の上で、淀んだ頭を抱えた桂はぼんやりそう思った。
午後の授業は確か、生物と日本史だったはずだ。チャイムを何回か聞いたから、もうどちらかの授業は終わっている。
銀八に呼び出されてからクラスに帰っていない自分を、誰か不思議に思ってはいないだろうか。
誰か探しに来てはくれないだろうか。
悪夢のようなこの状況下では、軽蔑しているクラスメイトたちにすら救済を求めてしまう。惨めで仕方がなかった。
 瓦礫の下にでもいるかのように、一寸も動けない。流石に、すぐに足首までずり下げられていたズボンと下着は腰まで引き上げたが、
この何分かの間それ以外の動作を一切していない。腹痛で冷や汗が浮かび、体温が熱を帯びながらしかし引いていくのを感じる。
こびりついていた精液は乾いただろうか?
 何度目かのチャイムが鳴り響き、一際騒がしい生徒たちの声が聞こえ始める。
どうやら今日の授業は終わってしまったらしい。それを機に、ようやく桂は芋虫のようにのそりと這い起きた。
 制服はもちろん顔も埃だらけで、涙の痕がひりひりした。視点が合わない。
もう何も考えられなかった。ただ、とんでもなく疲れた。そして感じたことなど殆どなかった孤独を、遠い喧噪を聞きながら覚えた。
また、こめかみがきんと張りつめて、涙があとからあとから流れた。
 悔しい。苦しい。辛い。誰か助けてくれ。だれでもいいから解放してくれ__肩を震わせながら、桂はまだ見ぬ神に祈った。
がら、と扉の引かれる音に桂は反射的に身を硬くした。当然其処に居たのはこの部屋の主の忌まわしい顔であった。
「まだ居たの?」
銀八は桂の目を見ずに、書類の散乱した職員机の上に資料らしき紙を投げた。
そして白衣のポケットからくしゃくしゃになった煙草の箱を取り出し、窓際に立って悠々と紫煙を吐き出す。
まるで桂などその場にいないかのような振る舞いだった。
 よほど精神が参ってしまっていたのだろう。桂は、普段なら絶対に口に出さないような質問をした。
「…先生」
蚊の鳴くようなか細い呼び声に、銀八は一瞥をくれた。灼けるオレンジ色に白衣と白髪が染まって、いっそ不気味なものにさえ見える。
「どうして」
桂は宙を見ながら、それだけを繰り返した。
「どうして…」
涙が勝手に溢れ出てくるのを感じる。一筋、まるで絵に描いたように桂の頬を涙が打った。
 銀八は煙草を床に落とし、履きつぶした様子の健康サンダルで煙を消した。
ぺたぺたという独特の足音を立てて、桂がへたりこんでいる場所までやってくる。ぼんやりと、桂はまた何か酷い仕打ちを受けるのだろうと
察知した。だが、もう逃げる気力すら残っていなかった。
銀八がしゃがみこむ。桂がゆっくりと視線を合わせると、銀八は意外な言葉を発した。

「好きだから」

予想だにしなかった言葉に目を見開くと、銀八の顔との距離が音を立てて近づき、次ぎに唇に乾いた感触を覚えた。
触れる其れが銀八の唇だと気付くのには、恐ろしく時間がかかった。
唇が離れ、耳元で低い声音でそっと銀八が呟く。
「桂くんのことが好きだった。ずっと前から」
うまく呑み込めない言葉はひどく甘いのに、語るその瞳に色や温度はない。
「だから無理矢理でも、俺のモンにしたいの」
もう一度軽く触れるだけの口づけ。離すときに吸い付くような音。息が肌にかかる。
非道く妙な気分だった。
「俺の気持ち覚えといてね」
そう言うと、銀八は再び教室を出ていった。がらがら、と引き戸の音がやけにうるさく響く。

 好き?

頭がぐらぐらした。そんな言葉は知らない。桂は思った。
混乱を乗り切るべく、ひとつひとつ、銀八が言った言葉を反芻してみる。
好きだから。桂くんのことが好きだった、ずっと前から。
理性が、そんなものは虚言だと喚いている。真実であるはずがないと。だってあの男の瞳は、ぞっとするほどに冷たい色だった、
瞳の代わりに氷の結晶が周囲の対象を映しているだけなのではないのかと錯覚するくらいに。
人を好きになるという感情を桂は覚えた経験がない。だが、恋をした人間はけしてあんな瞳をしない。それぐらいは分かる。
それでも、あまりに虚を突かれて唖然としてしまう自分を桂は認識した。
掛けられる筈のない、愛の言葉を嫌悪よりも衝撃で以て受容してしまう。
身じろぎもできない儘、時間が止まる。校庭からは運動部の掛け声や、黄色い笑い声が響く。
未だ少し、煙の匂いがした。








最低!DV男の典型だわ!最低よ!
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